先日は九州の小さな小中一貫校向けの授業をオンラインで。
この地域にはコロナ明けくらいから通っている中で、生徒数が減る学校向けの探究学習へのコメントも求められ、昨日は7年生(つまり、中学1年生)を対象とした授業を。。。しかもオンラインで。(その後、今月末に現地にも伺う予定)
これは田舎の話なのか、中学生全般なのかわからないが、小学生の時はとてもハキハキと話しかけてくれる子どもが中学生になると急にシャイになる。まぁ、思春期だからそれもやむなし、なのかもしれないが、中学生って人間形成の上でもとても感度が磨かれる期間な気がしている。というのは、中学生というタイミングは小学生以上に知識と自我があるから。そのタイミングでシャイはとってももったいない。このタイミングでどれだけ色んな人とコミュニケーションを取るかが重要だと思うのだけど、シャイや思春期でそのチャンスを逃すのはもったいない。
ただ、昨日の中学校での授業(40分私の講義)の後は、質問の時間こそ一人しか発言しなかったのだけど、その後の休み時間になったら次々とカメラの前に現れていろいろと質問してくれる。これはちょっと良いなぁ。。。
一方で、最近気になっていることは、いろんな地域で「探求」の名の下で、生徒(や学生が)が地域に出向き、話を聞き、提案する、ということが行われている。時には都市部から農村にやってきて数日地域体験をした後に都市部へと戻り、提案を考え、提案する、という授業である。これには若干の違和感を感じてきた。そんな数日、(非日常としての)農村体験をして、話を聞いただけで地域のリアルは理解しきれないし、それに伴う提案もどうしても表層的になってしまう。
今年は私が住んでいる村にも東京の高校がやってきたい、ということでかなり早い段階から担当教諭と進め方のディスカッションをしてきた。その中で私が提案したのは「農村で体験した結果を受けて、”農村に提案”するのではなく、”都市における自分たちの暮らしに提案”することが大事なのではないか?」ということ。
結局、提案を他人事としてやりっぱなしにするのか、提案の実施主体を自分にするのか、によってその後の理解も全然変わってくる。
これはとても大切なことだと思っていて、世の中「提案すること」に主眼が置かれすぎていて、その「提案のリアリティ」や「実施の負担」についてはあまり考えられていない。特に探求学習や大学生のフィールドワーク授業にも同様の傾向が強いと思う。そして「提案したら、後はあなた達(地域)がやるかどうかの問題」となってしまう。
しかし、実際の提案の中身はSNSでの情報発信や特産品を開発せよ、というものが多く、提案を受ける側にあまりしっくりこないこともある。にも関わらず、「提案を実行しない」「せっかく提案したのに」という負のが貼られたりしてしまうことすらある。そうではなくて、若者や都市部(学ぶ側)の暮らしのあり方を改めて問い直す、という方がよっぽど提案される側の気持ちもわかるものである。
その点で、地域の小さな学校の探求は、「まずは自分の地域の中で、”本気で”よいと思えるものを見つけられるか」ということを言っている。これも、なんとなく「地域はスバラシイ」「地域の暮らしは豊かである」という「正解」が押し付けられることで、建前を当たり前に語ってしまうようにならないためにも「本気でそう思う?」と問うていくことも大切だろう。
